なんでここにいるの?
5歳ぐらいの頃、こたつに入って寝ている時、急に「なんで自分はここにいるの」と思った。それから頭の中で自分の声が自分につぎつぎに問いかける。
なんでここにいるの?
なんで地球があって日本があって福島があって石川というところがあって親がいて自分がいるの?
なんで宇宙とかあって地球があって、、、
宇宙の果てはどうなってるの?
無限?だとしたら無限てどういうこと?はてがないってどういうこと?もし果てがあるとしたら、その外には何があるの?
なんで空間とかあるの?なんで空間があるの?
何のためにあるの?なんの意味があるの?
そもそもなんでこの世とか宇宙とか存在するの?なんの意味があるの?
もしなにもなかったら何があるの?
「無」ってどんなこと。何もない、空間も時間もないってどういうこと、、、
全てはなんであるの?自分はなんでここにいるの、、、、、、、???
ぐるぐると頭の中で堂々巡りをする答えのでない疑問。しまいには頭がぐるぐるまわっておかしな感覚になりどこか遠くに吸い込まれそうになって、はっと我にかえり、その果てしない想像をやめた。
とても不思議な感覚だった。
あれから50年あまりが過ぎた。今でも時々同じことを考えるが、、、
いまだに疑問は解けていない。
あらゆる本を読んだ。あらゆるサイケデリックスも体験した。物理学、スピリチュアル、宗教、哲学、、、この世とあの世の仕組みはなんとなく理解はしたつもり。
しかし肝心なことはいまもわからない。
何もないということ、素粒子や意識すらない「無」という状態が想像できない。
意識は無限というのは想像出来るが、空間的な無限というのが想像できない。
そして最後に、なんで世の中やあの世が存在しているのか。なぜなきゃいけないのか?
自分がなんでここにいるのか?
自分の本質は意識で、意識は全てを創造するアーティストである神であるという事実があるとしても、じゃあ、そもそもなぜ意識というのがあるのか?なんの意味があってこの世やあの世というアートを意識がクリエイトしているのか?
これだけは一生わかりそうもないし、だれも明確な答えを出せないだろう。
宇宙があって一体なんの意味があるの?別になくてもいいじゃない。でも何もなかったらそれってどんな状態?時間も空間も素粒子も意識も何もない、「無」ってどういうこと、、、、
とまた、果てしなく続くのだ。
死んだらわかるかもしれない。生きているうちはわからないだろう。きっと。
ただ、自分が壮絶な、自分にとっての最高のドラマの主人公として存在していることは真実だ。リアルなドラマにまさる映画はない。そして、そのドラマを作り演じているのが全て自分自身であるという真実。
この世の意味を考えるより、世界で最高に感動するドラマをみた方が幸せだと思う。
この世に生きる人全てが、世界で最高の自分というドラマの主人公だ。
だから、今を大切に一瞬一瞬をゆっくりとかみしめるように、いい夢を見ていたい
経験した過去は確かに魂の財産ではあるが、それに執着してくよくよしたり、起きてもない未来に不安を抱いていきても、良い未来は創造できない。よくない現象を引き起こしてしまう。執着とはそういうもの。いい意味で忘れっぽく、あっけらかんとしていたい。起きてしまったことを悔やんでも恨んでもどうしようもない。悪いと思える過去を思い出しても、映画のワンシーンを見るようなもの。未来に対しても全くおなじ。
時間は今しか存在しないし、今の連続が未来を作る。だからいま、いい夢をみよう。自分が作る自分のドラマなのだから。すべては自分にかかっている。周りの雑音のようなネガティブな情報に惑わされず、目の前でおきるドラマをしっかりとこの目で見ていこう。
自分だけの
いま
という最高のドラマを。
それが最高の未来をきっと呼んできてくれるはずだ。