自家焙煎の勧め

f:id:jun369:20180805094728j:plainコーヒーが好きで、挽きたて淹れたてのコーヒーにこだわるほどの人には、生豆を自分で焙煎して飲むことをお勧めする。

焙煎されたコーヒーは生鮮食品と同じで、時間が経てば経つほど、味や香りが劣化して行く。焙煎後、時間とともに香りが抜けて行ってしまうのと、酸化による成分の科学的変化による豆本来が持つ酸味ではない酸化による酸っぱさの増加が主な味の劣化と言えるだろう。よく古くなった焙煎豆のコーヒーを飲むと、明らかに美味しくない酸っぱさだけを感じる時がある。香りもなく苦みもえぐみに変わり、とても飲めたものではない。そんなまずいコーヒーより、より美味しいコーヒーを飲むために、コーヒー好きの人の中にはお気に入りの自家焙煎のコーヒー屋で焙煎された豆を豆のままで買って、飲む直前に挽いて飲んでいる人も多い。コーヒー好きほどそうして飲んでいると思われる。最近ではコンビニで100円で下手なコーヒー屋より上手い挽きたて淹れたてのコーヒーを飲むことができるが、、、。やはりコーヒーは鮮度の良いものを挽きたて淹れたてで飲むのが一番美味しい。

しかし、鮮度がよく上手く焙煎された豆を飲むというのは沢山飲む人ほど意外にお金がかかる。焙煎店で買うコーヒーは、安くても100グラム300円、高い店だと100グラム500円以上する店もある。沢山飲む人ならわかると思うが100グラムなどすぐになくなってしまう。月にすればコーヒーにかかるお金も結構 馬鹿にできない金額になる。しかも焙煎店だからといっていつも焙煎したての豆を売っているとは限らない。最近ではネットで注文を受けてから客の好みに合わせて焙煎して宅配してくれる焙煎コーヒーショップが結構あるが、豆の値段もそれなりに高い。

ところが、コーヒーは生豆で買うと、よい卸屋を見つければ、品質の良いものでも、安い種類の豆だと1キロ600円以下、高くても一部の高価なプレミアムコーヒーを除けばキロ1000円前後で手に入れることができる。コーヒーは100グラムにしたら50円から100円くらいの原価ということになる。これが卸売りの生豆の価格である。それが生豆の輸入業者ともなれば、正確にはわからないが、そのさらに半額以下の価格で輸入しているかもしれない。つまりコーヒーの生豆自体はそんなに高いものではないのだ。それが焙煎された豆になると100グラムにして一般的に300円以上になる。自分で焙煎して飲んだ方が断然かかるお金が安くすむ。だからコーヒーを多く消費するコーヒー好きの人には、自分で焙煎することをお勧めするのだ。

理由はそれだけではない。コストの面もさることながら、もっと大事なのは、自分の好みのコーヒーの焙煎を好みの生豆で自由自在にクリエイトできる点に尽きる。これは大事なこと。人の好みで焼いたものより、自分の舌が納得するものを試行錯誤の中でクリエイトして、しかも新鮮な状態でそれを味わう事ができる、という事がコーヒー好きにとっていかに幸せなことか。大げさに言いすぎだろうか。

自分で焙煎したコーヒーを飲むことは、自分で釣った魚をすぐに食べることと似ている。魚屋で買った魚を食べるのと、自分で釣った魚を食べる違いである。でも魚は好きだけど釣りは面倒出し、買ってたべたりお店で高いお金を出して食べた方がいいという人もいるように、焙煎なんて面倒だが美味しいコーヒーが飲みたいという人には、プロが焙煎する焙煎店はいくらでもあるので、そこで焙煎された豆を買って飲んだり、自家焙煎のカフェに行って飲めばよいと思う。今の時代、ネット上にも焙煎店など、いくらでも存在する。

ただ、世の中には釣り好きで釣りたての魚を食べたくて釣りに行く人が多いように、焙煎も好きで美味しいコーヒーを飲みたくてそうしている人だって少なからずいるということも事実で、最近その数は増えてきているのではないかと感じる。ちなみに俺は、釣りも好きで海のすぐ近くに住んでいるので頻繁に海で魚を釣って新鮮な魚を食べている。釣り具代とエサ代だけで釣りたての美味しい魚を食べる。生豆代とガス代だけで美味しい自分だけのコーヒーを味わう。いくらお金をだしても味わえない贅沢が自分で少しだけお金と手間をかければ手に入るのだ。これはやらない手はないと思い、そうしている。

コーヒーの焙煎は奥が深く、そこそこの焙煎は誰にでも簡単にできるが、やっているうちにもっと美味しいものを求めるようになり、火加減とか焙煎時間とか、いろいろな条件で味が変わることを知るようになるにつれて、どんどん深くのめり込むようになるだろう。経験を積むにつれて最初は簡単だと思ったことが、だんだん難しいんだなあ、と思うようになったり、こうしたらどんな味になるかとか色々と試したりして、少しずつ上手く焙煎できるようになって行くようだ。これはあくまで俺の経験だが、、、

とにかく単純に面白いし、焙煎している時に出る煙の匂いだけでも、なんとも言えぬコーヒーの香ばしい香りがして最高にハッピーな気分になるし、美味しい自分だけのコーヒーが飲めるし、自家焙煎はこれからコーヒー好きの間でどんどん流行するだろう。

そんなわけで最近では焙煎器も手軽でシンプルでいいものがあちこちから出ている。電動で自動の物は一定の焙煎ができ、美味しいコーヒーだけを追求したい人にはいいかもしれないが、俺が勧めるのは、やはり手回し焙煎器。思いのこもったハンドメイドがいいと思う。苦労して育てた子供ほどかわいいのと同じで、手間をかけたコーヒーほど思いが入り、美味しいというのが俺の考えだ。

f:id:jun369:20180805090842j:imageアルベルクラフトの遠赤外線手回し焙煎器

http://www.auvelcraft.co.jp/coffee/

この焙煎器がコストパフォーマンスがとてもよく考えられていてシンプルかつ高性能で、誰にでも美味しい焙煎が手軽にできると思う。アルベルクラフトの社長が考案発明したもので、この方が超個性的なクリエイターで他にも面白い発明品を数々考案開発して販売されておられる。幸せな人である。

コーヒーの生豆は広島県にある

「コーヒー流通センター」というところから10キロ単位買っている。10キロでクオリティのそこそこ良いものでも1万円前後で買える。数あるコーヒーの生豆販売業者のなかで俺が選ぶ、もっとも良心的で儲け主義の少ない、優良企業だと思う。

https://www.coffee-rc.jp/

とゆうわけででアメリカでは今、日本式の自家焙煎コーヒー店が流行しており、その流行の波を、サードウェーブコーヒーなどと呼んでいるそうだが、それはつまり日本に昔からあった自家焙煎コーヒー店のことである。アメリカ人は最近まで自家焙煎コーヒーの良さを知らずにスタバのようなまずいコーヒーを喜んで飲んでいたが、最近やっとほんとうに美味しいコーヒーに目覚める人が増えて流行しているということだろう。

ちなみに、あのまずいスターバックスコーヒーのスタイルがセカンドウエーブコーヒーだそうだ。

日本のコーヒー文化は、計らずしもアメリカの上を行っていた。重ねて日本人の味覚と文化の繊細さを証明しているような話だ。

そこでその上を行くコーヒー文化として

フォースウエーブコーヒーの流行が日本で起こることを予測する。それは自分で生豆を買って自分で焙煎して飲むという新しいコーヒー文化。これはもうすでにシンクロして日本で密かにブームになっていることだと思う。そのうち誰か有名なコーヒー好きの文化人かなんかががフォースウエーブとか言い出すと一気に広がる可能性がある。どちらかと言えば軟弱な印象のあるカフェブームの影で、硬派なコーヒー好きの間でフォースウエーブコーヒーはひそかな流行になるであろう。

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モカマタリNo9

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モカマタリNo9.

コーヒールンバの歌詞のなかで唄われているイエメン産のコーヒー豆のひとつ。

とびきりにお気に入りの生豆を久し振りに焼いてみた。少し深めのシティーロースト。酸味を少し残してカリッと香ばしいモカ臭と程よい苦みを出す。モカといえば浅煎りが常道だが、俺のベスト焙煎は中深のシティローストだ。

飲んだ時の舌に伝わる苦みと口に広がる心地よい酸味、そして喉を通る時鼻に抜ける独特のモカの匂い。数あるモカコーヒーのなかでもマタリNo9の香りは秀でて気品がある。

モカの産地よいえばエチオピアとイエメン。日本のコーヒー屋でよく使われているモカエチオピア産のシダモやイリガチェフなどがメジャーだ。値段が安く品質が安定しているからだろうか。一方、イエメン産のモカはコーヒーショップで見かけることが少ない。生豆の値段がエチオピア産の安いものと比べ2倍することと、品質が安定していなく、生豆に欠点豆が多いためだろうか。f:id:jun369:20180803155337j:image見栄えのあまりよくないマタリの生豆と取り除いた欠点豆たち
f:id:jun369:20180803155342j:imageモカマタリNo9はイエメン産のモカである。マタリの中でもNo9は最高級とされるが、エチオピア産と比べると、やはり豆の状態(色や大きさ)にばらつきがあり、発酵やカビで変色した豆や未成熟の豆、割れた豆など不良な豆が沢山混じっている。全体の多い時は3割くらいの欠点豆をハンドピックで取り除かないと、美味しいコーヒーにならない時もある。普通のコーヒー屋であまり扱われないのは、その辺りが理由かもしれない。

そんなわけで、焙煎にとても手のかかる豆なのがモカマタリという豆なのだ。コーヒーの原種に近い豆で品種改良もせず、今でも原始的な生産にこだわるイエメンのコーヒー農家。だからこそ他のコーヒーには絶対にない独特の香りと味わいの世界がモカマタリの魅力だ。コーヒー好きの人がどこかのコーヒー屋や喫茶店モカマタリに出会ったら、是非一度飲んでみることをお勧めしたい。マタリ独特の香りの世界は、あの名曲「コーヒールンバ」を思い出させてくれるかもしれない。

 

 

感謝とは喜ぶこと。喜んで嬉しく生きて行きたい

感謝とは喜びや嬉しさの波動。上っ面の言葉だけの「ありがとうございます」という社交辞令のような感謝とはまるで質が違う。もちろん言霊としての「ありがとう」というバイブレーションがあるのだが、気持ちのないありがとうと本当に真心から来るありがとうは、まるで質が違うし伝わる波動がちがう。

いつも喜んで生きている人をみるとこちらもなぜか楽しくなるしそんな人といるだけで何故か元気になる。幸せな人とはそんな人をいう。幸せな人は人をジャッジしたり悪口を言ったりしない。幸せな人は疑う気持ちや不安がなく自分が与えられた場所で楽しく生きている。感謝し喜んでるひとは物事の良い面にフォーカスして生きている。あれもいい,これもいいと素直に受け入れる気持ちが強い。

喜んでいない人をみてもなんだか楽しくならないし、そんな人といてもあまり元気になることはない。話をしていてもあれが悪いこれが悪いという話になってつまらないことがおおいので楽しくない。でも不幸せなひとはそういう話が好きだ。人を裁いたり、人の悪口を言ったり聞いたりして優越感にひたり元気になっている。不幸せな人は懐疑心が強く物事に対する不安がつよい。人を疑いの目でみたり、馬鹿にしり、嘲笑したりする。不幸せなひとほど正義感や信念があり善悪をつけたがる。結果、不幸せなひとは物事の悪い面にフォーカスして不平不満と怒りと嫉妬の世界で生きるようになる。始末が悪いのはそんな負のエネルギーを隠して善人の仮面をつけている人がいるからだ。人を支配したがる傾向の強い人に多い。本当に悪い奴は善人に見える。一見いい人で人当たりも良く礼儀正しく振舞っていたりされると分かりずらい。

しかしすぐにわかる。感謝、喜びの波動がでているかを見るとすぐにわかる。喜んでいる人を見ると楽しくワクワクするが、不幸せな人を見ても楽しくならないし素直に話すこともできなくなる。エネルギーとはそんなものだ。幸せな人といる時の沈黙は心地いいが、不幸せな人といる時の沈黙は心地よくない。幸せな人は無理にしゃべろうとはしないでその場の空気感を喜んで体験しているが、不幸せな支配者は自分の波動をごまかそうとして無理に気のきいた話題でその場を繕おうとしたりする。本当の意味でのエネルギーの交わりを怖がり言葉や会話に逃げるか、自分のエネルギーを見られるのを恐れて鎧のようなオーラで身を守ったりしている時もある。

そんな人を見るとかわいそうだなあ、とは思うがどうしてあげることもできない。そして今のこの世を支配している人達の本質は、そんな不幸せな人たちであり、そんな不幸せな世界を作っているのは、大多数の不幸せな意識をもった人間なんだと思う。そのような人たちの集合意識が作る世界がこの3次元世界である。影の支配者達なども洗脳された大衆の作り出したモンスターなのだ。

人は生まれた時は喜んで生まれてくる。子供の時はほとんどの人は喜んで生きている。それが、学校に行くようになり善悪や、正誤の概念を植え付けられ偏差値をつけられて人と競争する意識を植え付けられ、点数をつけられて人と自分と比較するようになり、劣等感や優越感を持つようになり、人の不幸を喜んで、人の幸せを妬むようになる。そして大人になりマスコミにより不安と恐怖を植え付けられ、自分自身が現実を作り出す想像主であり無限の宇宙意識とつながりシンクロニシティを起こしていることを忘れてしまい、何かに依存するように仕向けられ、結果的に国家という権力に支配され依存させられて生きるようになる。そしてその支配と依存という巨大なシステムがこの3次元世界にはすでに何百年という時間をかけて作り上げられてきたのである。そんな中で人類は支配者によってでっち上げられた戦争や奪い合いの中で不幸な歴史を積み重ねてきた。全部自分たちのせいである。もう目覚めなければならない。北朝鮮が悪いのではない。iイランもシリアもわるくなんかない。支配者のせいでもない。悪いと思う自分が一番悪いのだ!自分が正しくて人がまちがっている、という一人一人の心の中にある、その争いが一番悪いのだ!

全くその逆の人が幸せな人と思っていいと思う。素直で子供のままの意識を持ち余計な概念がなく喜んで生きている人。本当に幸せになりたければ一度全てをすてて魂の原点に帰らないといけない。自分の不幸を周りのせいにしてはますます不幸になるばかりである。幸せな人は宇宙を味方につけているので運が良く何事も簡単に苦労しないで現実化するが、不幸なひとはその反対である。だから世の中の支配者は苦労してみんなでグルになって作戦会議とかたくさんして、お金でマスコミや政府を牛耳って、組織とか一杯つくって、大衆を洗脳して恐怖に陥れて人間の負のエネルギーを餌にしようと、大変な努力をして、この不幸な洗脳世界を守っている。嘘がばれないように必死で、巧妙にテレビや新聞でフェイクの情報を流す。真実はひた隠しにしたいと願っている。

さあ、どうだろう。これを読んだ人は、どちら側の人間になりたいと思っただろう。喜んで生きるより、人を裁いたり馬鹿にしたりして生きる方が気持ちいいという人もいるだろう。お金をたくさん持って優越感に浸りたい人、地位や名誉を幸せと思う人もいると思う。

俺は単純に気持ちよく楽しく健康的に最高のハイを求めた結果、喜んで生きる幸せな人になりたいと思って、それを深く考えた結果が今の自分の考えや価値観に行き着いた。がしかし、自分が完全に幸せな人かと言われたらそうではない。まだまだ不安も不満もあるし悪口は言わないまでも心の中で人をジャッジしている自分もいる。でもそんな自分に気がついて冷静に自分をみることができるようになり、なんでも回りのせいにしなくなって、全ては自分のエネルギーが作り出した結果なんだと体感できるようになったことは人として大きく成長した点だと思う。311地震原発事故で福島の家もお金も全て失い、旅人になったおかげでとても大事なことに気づかせてもらった。お金や家や財産よりも大切な人の命と幸せ。本当に幸せな人間になりたい。そう強く願い、日々を生きている。

不完全だからこその人生。マイナスなバイブレーションに惑わされ、ネガティヴな想念に取り憑かれる時だってある。でもそんな自分も否定しないで抱きしめてあげる気持ちも大切だと思う。周りも自分も実はひとつで、周りは自分の鏡なのだから。自分がよくなれば周りも良くなる。少しづつでもネガティヴな想念がこの地球上から浄化されてなくなり、近い未来にこの世が幸せで満たされる日が来ることを夢見て、明日もまた喜んで生きていこうとおもう。

心からの安心は究極の平和の中にある。全体の平和のなかにこそ究極の安らぎと幸せがあるのだから。決して自分だけがよくて幸せではないのだ。

断食9日目。 

愛すること。ありままを許すこと

感謝すること。喜ぶこと。

助け合うこと

そして、信じること 

Change earth.

You join us, telepathic peaceful world!

369.

 

 

断食4日目

f:id:jun369:20180729075851j:plain今朝のコーヒー

モカハラーとブラジルカラメリッチのブレンド。シティーロースト。ほどよい甘みとモカの香りと香ばしさが心地いい一杯。

モカコーヒーは一般に浅煎りにして酸味とフルーティーな香りを引き出すのが良いとされている。だが、少し深めにシティローストにしてみると酸味が独特の気品ある香ばしい味と香りに変化する。これはモカマタリでやると一層顕著にわかる。この中深煎りのモカが大変気に入っている。深煎りしすぎるとモカ臭がなくってしまうので、どこで炒り止めるかは勘どころである。実は勘どころというのが焙煎ではとても重要。特に手回しでは手に伝わってくる熱を感じて火を調整したり、豆の色や煙の匂い、豆のハゼる音などを五感で感じながら、ここだ、と思ったところで炒り止める。これは感覚的なことなので言葉では説明が難しいが、自分の思った味のコーヒーが焼きあがった時は特に嬉しい。失敗してまずいコーヒーになることだってある。だから焙煎は心を空にしてその瞬間を感じなければならない。自分は時計や温度計は使わない。焙煎は理論があり、よく何分後に何度にするとか、何分でどうのこうのとかいうのを聞く。確かにそれはそれでいいと思うし、美味しいコーヒーになると思う。しかし、それでは豆を焙煎するとき「思考」が介入してしまう。思考よりも感覚をコーヒーに伝えたいので自分は自分の身体に伝わる感覚によって火を調整し、焙煎の止め時も判断する。

焙煎器を一定リズムで回しながら脳波をシータ波に導き瞑想状態になり、豆と音に意識を向けて反時計回りにエネルギーを入れて行く。それがしたくて手回し焙煎にこだわる。

うまくいった時は、飲んだら心地よく酔えるコーヒーになる時もある。普通に美味しいな、と思う仕上がりの時もある。不味くて気分が悪くなるコーヒーになるときもある。不思議だがエネルギーというのはそんなものだ。その時の自分の意識がそのまま反映する。焦らず楽な気持ちで脳波を緩くしながら集中してやると良いコーヒーが仕上がるようだ。

だからコーヒーの焙煎は奥深くにどんどんのめり込む。機械を使って均一に美味しい豆を焼くことは可能であるが、自分は違うところにこだわり、目標を持っているf:id:jun369:20180729084622j:plainアルベルクラフト手回し焙煎機

f:id:jun369:20180729084825j:plainf:id:jun369:20180729084934j:plain

断食は今日で4日目。

世界中のソウルフレンドにテレパシーで伝える。

心(意識)を伝えること。言葉じゃなく気持ちで伝えること。

You join us. Telepathic peaceful world.  

Change earth 

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雨と太陽

f:id:jun369:20180728071922j:plain雲の中からひかりを放つ今朝の太陽。

今朝、目を覚ましたら雨の音が聞こえた。しばらく布団のなかでうとうとしてから起き上がり、シャワーを浴びる。仏壇の前にあぐらをかいて座る。今年,福島で,すい臓がんで矢内弘子としての人生を終えて旅立った母親に朝の挨拶をする。緑の花の線香を焚き、虚空蔵菩薩マントラをかけてカタカムナウタヒを詠んだ。しばしの瞑想の後、外を見ると一面の曇り空を突き抜けて太陽が淡い光を力強く放って浮かんでいた。f:id:jun369:20180728072813j:plain今朝のコーヒーと家の仏壇。

すべての願いに希望を込めて。

One peace coffee,

3369change

ケニアAA.昨日から断食にはいる。

f:id:jun369:20180727071359j:plain今朝のコーヒー

フレンチローストのケニアAA.

断食2日目。ジャスムヒーンはオーストリアに住むソウルフレンド。もう15年以上何も食べずに生きている。彼女はプラーナを食べて生きている。ブレサリアン、不食の人は最近世界中で増えてきている。地球のバイブレーションの上昇。進化をとげる意識。脳波のシーター波への移行により不食は可能となる。全ての恐怖からの解放と究極の安心がなければ不食にはなれない。高次元に意識をチャネルしていなければ不食は餓死を招く。

不食の目指すところはつきつめれば、究極の精神と肉体の快楽、究極のハイだ。それには究極の愛と平和なマインドがなければたどりつくことができない。

究極のハイを求めたいなら、ドラックよりも不食を目指すとよいだろう。ドラッグやサイケデリックスによるトランスは一時的だが、不食によるハイは永続的である。

一人の人間が不食となり、そのバイブレーションが集合意識や周囲の人間や環境におよぼすテレパシックな影響はとても大きい。世界中のブレサリアンはこの宇宙的進化のなかの地球というステージで変革のためのアクセルの役割をになう貴重なライトワーカーである。権力者や支配者のように偉ぶることも奢ることもなく人知れず重要な任務を果たしている。時にはサイキックな能力でシンクロを起こしたり。彼らは果てしなく寛容な愛の存在だ。彼らの意識を見習い生きていきたい。

断食は25年前から年に数回はやっている。デトックスと病気予防のため、5日から長い時には2週間くらいはやる。身体の声をきいて必要なだけ続ける。断食中は心も身体も爽快だ。好転反応は2、3日でなくなり、それからが気持ちいい。そのまま不食になろうかと思うことも過去に数回あったが今のところ不食には至っていない。

食べるのも大好きなのでしばらくは不食にはならないだろう。しかし、宇宙からの要請があり、自分も究極のハイを心から望む時が来たら、もしかしたら不食になる日が来るかもしれない。未来のことはどうなるかわからない。そして未来はどうにでもなる。

今この瞬間の思いと行動次第でどうにでもなる。だって宇宙は我々の意識がつくりだすフェイクイリュージョンなのだから。

だから今この瞬間にいい夢を見たほうがよい。いい夢とは、今目の前に映る世界にほかならない。よく見るも悪く見るも自分の意識次第である。

あれが悪いこれが悪いと生きるより、あれもいいこれもいい、と今を味わったほうが断然良い未来を創造することができるのだ。

Time is Now.Now is the Dream.

夢   ただ   いま。

Change 369.

One peace coffee.

 

 

朝の一杯。虚空ブレンド

f:id:jun369:20180726081749j:plain登る朝日を直視し、脳内に光を満たす。虚空蔵菩薩マントラに虫たちの声。蝉のざわめき。鳥たちのうた。花の線香の匂い。そして一杯の朝のコーヒー。モカハラーにブラジル、タンザニアブレンド。なんとも言えぬ平穏を感じる時。目を閉じてしばしの瞑想。今だけを感じる時。朝の祈り

虚空ブレンド

One peace coffee.