感謝とは喜ぶこと。喜んで嬉しく生きて行きたい

感謝とは喜びや嬉しさの波動。上っ面の言葉だけの「ありがとうございます」という社交辞令のような感謝とはまるで質が違う。もちろん言霊としての「ありがとう」というバイブレーションがあるのだが、気持ちのないありがとうと本当に真心から来るありがとうは、まるで質が違うし伝わる波動がちがう。

いつも喜んで生きている人をみるとこちらもなぜか楽しくなるしそんな人といるだけで何故か元気になる。幸せな人とはそんな人をいう。幸せな人は人をジャッジしたり悪口を言ったりしない。幸せな人は疑う気持ちや不安がなく自分が与えられた場所で楽しく生きている。感謝し喜んでるひとは物事の良い面にフォーカスして生きている。あれもいい,これもいいと素直に受け入れる気持ちが強い。

喜んでいない人をみてもなんだか楽しくならないし、そんな人といてもあまり元気になることはない。話をしていてもあれが悪いこれが悪いという話になってつまらないことがおおいので楽しくない。でも不幸せなひとはそういう話が好きだ。人を裁いたり、人の悪口を言ったり聞いたりして優越感にひたり元気になっている。不幸せな人は懐疑心が強く物事に対する不安がつよい。人を疑いの目でみたり、馬鹿にしり、嘲笑したりする。不幸せなひとほど正義感や信念があり善悪をつけたがる。結果、不幸せなひとは物事の悪い面にフォーカスして不平不満と怒りと嫉妬の世界で生きるようになる。始末が悪いのはそんな負のエネルギーを隠して善人の仮面をつけている人がいるからだ。人を支配したがる傾向の強い人に多い。本当に悪い奴は善人に見える。一見いい人で人当たりも良く礼儀正しく振舞っていたりされると分かりずらい。

しかしすぐにわかる。感謝、喜びの波動がでているかを見るとすぐにわかる。喜んでいる人を見ると楽しくワクワクするが、不幸せな人を見ても楽しくならないし素直に話すこともできなくなる。エネルギーとはそんなものだ。幸せな人といる時の沈黙は心地いいが、不幸せな人といる時の沈黙は心地よくない。幸せな人は無理にしゃべろうとはしないでその場の空気感を喜んで体験しているが、不幸せな支配者は自分の波動をごまかそうとして無理に気のきいた話題でその場を繕おうとしたりする。本当の意味でのエネルギーの交わりを怖がり言葉や会話に逃げるか、自分のエネルギーを見られるのを恐れて鎧のようなオーラで身を守ったりしている時もある。

そんな人を見るとかわいそうだなあ、とは思うがどうしてあげることもできない。そして今のこの世を支配している人達の本質は、そんな不幸せな人たちであり、そんな不幸せな世界を作っているのは、大多数の不幸せな意識をもった人間なんだと思う。そのような人たちの集合意識が作る世界がこの3次元世界である。影の支配者達なども洗脳された大衆の作り出したモンスターなのだ。

人は生まれた時は喜んで生まれてくる。子供の時はほとんどの人は喜んで生きている。それが、学校に行くようになり善悪や、正誤の概念を植え付けられ偏差値をつけられて人と競争する意識を植え付けられ、点数をつけられて人と自分と比較するようになり、劣等感や優越感を持つようになり、人の不幸を喜んで、人の幸せを妬むようになる。そして大人になりマスコミにより不安と恐怖を植え付けられ、自分自身が現実を作り出す想像主であり無限の宇宙意識とつながりシンクロニシティを起こしていることを忘れてしまい、何かに依存するように仕向けられ、結果的に国家という権力に支配され依存させられて生きるようになる。そしてその支配と依存という巨大なシステムがこの3次元世界にはすでに何百年という時間をかけて作り上げられてきたのである。そんな中で人類は支配者によってでっち上げられた戦争や奪い合いの中で不幸な歴史を積み重ねてきた。全部自分たちのせいである。もう目覚めなければならない。北朝鮮が悪いのではない。iイランもシリアもわるくなんかない。支配者のせいでもない。悪いと思う自分が一番悪いのだ!自分が正しくて人がまちがっている、という一人一人の心の中にある、その争いが一番悪いのだ!

全くその逆の人が幸せな人と思っていいと思う。素直で子供のままの意識を持ち余計な概念がなく喜んで生きている人。本当に幸せになりたければ一度全てをすてて魂の原点に帰らないといけない。自分の不幸を周りのせいにしてはますます不幸になるばかりである。幸せな人は宇宙を味方につけているので運が良く何事も簡単に苦労しないで現実化するが、不幸なひとはその反対である。だから世の中の支配者は苦労してみんなでグルになって作戦会議とかたくさんして、お金でマスコミや政府を牛耳って、組織とか一杯つくって、大衆を洗脳して恐怖に陥れて人間の負のエネルギーを餌にしようと、大変な努力をして、この不幸な洗脳世界を守っている。嘘がばれないように必死で、巧妙にテレビや新聞でフェイクの情報を流す。真実はひた隠しにしたいと願っている。

さあ、どうだろう。これを読んだ人は、どちら側の人間になりたいと思っただろう。喜んで生きるより、人を裁いたり馬鹿にしたりして生きる方が気持ちいいという人もいるだろう。お金をたくさん持って優越感に浸りたい人、地位や名誉を幸せと思う人もいると思う。

俺は単純に気持ちよく楽しく健康的に最高のハイを求めた結果、喜んで生きる幸せな人になりたいと思って、それを深く考えた結果が今の自分の考えや価値観に行き着いた。がしかし、自分が完全に幸せな人かと言われたらそうではない。まだまだ不安も不満もあるし悪口は言わないまでも心の中で人をジャッジしている自分もいる。でもそんな自分に気がついて冷静に自分をみることができるようになり、なんでも回りのせいにしなくなって、全ては自分のエネルギーが作り出した結果なんだと体感できるようになったことは人として大きく成長した点だと思う。311地震原発事故で福島の家もお金も全て失い、旅人になったおかげでとても大事なことに気づかせてもらった。お金や家や財産よりも大切な人の命と幸せ。本当に幸せな人間になりたい。そう強く願い、日々を生きている。

不完全だからこその人生。マイナスなバイブレーションに惑わされ、ネガティヴな想念に取り憑かれる時だってある。でもそんな自分も否定しないで抱きしめてあげる気持ちも大切だと思う。周りも自分も実はひとつで、周りは自分の鏡なのだから。自分がよくなれば周りも良くなる。少しづつでもネガティヴな想念がこの地球上から浄化されてなくなり、近い未来にこの世が幸せで満たされる日が来ることを夢見て、明日もまた喜んで生きていこうとおもう。

心からの安心は究極の平和の中にある。全体の平和のなかにこそ究極の安らぎと幸せがあるのだから。決して自分だけがよくて幸せではないのだ。

断食9日目。 

愛すること。ありままを許すこと

感謝すること。喜ぶこと。

助け合うこと

そして、信じること 

Change earth.

You join us, telepathic peaceful world!

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